Monday, January 29, 2024

20240129 父亡くなる

朝7時30分から自室でテレワークを開始。


子どもたちが学校に行き、8時30分に妻と母が1階で話しをしていたら、突然大きな音が。。


父が階段で転んで倒れていました。


本日は、月1回の町田慶泉病院に行く日。

2階から降りてくるときにころんだようです。



ここのところの寒さで、調子が悪く、足がすごくむくんでいたので、

歩くのが大変だったようで、階段を降りる途中でよろけたのかもしれません。


頭を2箇所、階段の手摺の装飾部分にぶつけたのか、出血。

血液サラサラの薬のエリキュウスを飲んでいるためか、出血が止まりません。


意識はあるようで、問いかけに答えています。


妻が頭にタオルを当てて、止血をしている間に、119へ電話。


救急車が到着するまで、30分程度。

救急隊の方が、その場で応急処置を行い、その後、救急車へ搬送。


救急車の中で、病院の調整が始まる。


頭を打っているので、脳外科のある病院ということで、

南町田病院、横浜新緑総合病院、横浜旭総合病院の3つが候補に出ている。


一番近い、南町田病院で受け入れOKが出たようで、病院へ。


病院に運ばれ、CT検査を受ける予定が、父の番になり、CTの機械が壊れたとのこと。

CTを待つ間、外傷の傷をホッチキスで縫合。

先生に麻酔はどこにするんですかと聞くと、麻酔はしませんとのこと。

なんということか。


痛いだろうと思うが、痛いとは言わない。


外傷の治療は終わったが、CTの機械の故障の回復目処が立たないので、転院することに。


調整の結果、横浜都市脳神経外科へ。

父は、母と病院が用意した救急車で出発。


ワシは、別行動。

父の心臓の薬が今日病院で処方してもらわないと亡くなるとのことで、

町田慶泉病院のかかりつけのお医者のところへ、状況報告と薬の処方をお願いしに行くことに。


町田慶泉病院で先生とお話をして、厳しいようであれば、入院をして緩和ケアの話も聞く。


その後、車で横浜都市脳神経外科へ。




妹も来ていて、CT検査の結果、幸い、脳には異常なしとのこと。

ひとまず安心ということで、車で家に連れて帰る。



親父は、家でうどんを食べて、椅子に座って休憩。


ワシは、親父用にリビングに電動の椅子を購入するために、母親と妹ちゃんを連れて、ニトリへ。


展示品で安いのがありました。

普段、親父が座っているアルフレックスの椅子はおしゃれだけど、

背もたれが短く、首まで背もたれがあり、電動でリクライニングできるもの。


購入で続きをして帰宅。


妻が様子を見ていたが、特に変化もなく、自分でお湯を沸かしてお茶を飲んでいたとのこと。


夕飯を食べていた時、母親が親父の調子が変だから見てほしいと。

行ってみると、食卓の椅子に座って、寝ている感じ。

だけど、顔色がなんとなく白い気がしたので、親父と声をかけるも反応なし。


お医者さんからもらった紙に、こんな症状がでたら119番通報ってあったのに該当。


急ぎ、119番。

15分ほどで救急隊が、到着。


リビングに寝かして、心臓マッサージを始めるも、脈がないとのこと。

応急の手当を施し、救急車へ。

病院の候補としては、かかりつけ医の町田慶泉病院。


救急車の中で、延命措置を施しますかと聞かれたが、生前、親父からは延命措置はするなと言われていたので、本人の希望は延命を望んでおりませんでしたと伝える。


町田慶泉病院に到着して、先生の診察。

すでに脈がないとのこと。

死因は、慢性心不全とのこと。


あと数日で89歳の誕生日でしたが、88歳という人生を町田の自宅で

眠るように終えたので、幸せだったと思います。


ここ数年は、心臓が悪く辛かったのかもしれませんが、

本人の希望通り、自宅で誰の手も煩わせることなく、亡くなったのは、

親父らしいと思いました。


コロナ前から、病院に一緒に行き、先生から毎年、夏と冬が山場ですからと言われていましたが、それから5年以上も毎日孫の顔を見て、元気に過ごせたのは幸せだったと思います。


本当に感謝です。






2 comments:

  1. お亡くなりになるまで、いろいろとあったんですね…御冥福をお祈りいたします🙇

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    1. この日は、本当にいろいろありました。
      でも、最後は、みんなに会ってなくなったので、本当に幸せだったと思います。

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